「まちづくり」への視座




小金井のまちづくりは今、何処へ向おうとしているのでしょう?

市は財政破綻状態に追い込まれてるにも関わらず
従来型の資本投下型再開発事業が行われようとしているようでもあります。

武蔵小金井駅南口再開発
東小金井駅北口区画整理
中央線の連続立体交差事業を契機とした駅舎問題
二枚橋焼却場などのゴミ問題
相続発生に伴う緑空間の減少
・・・
高齢化社会への対応は?
まちの活力は?
美しい街並みですか?
小金井らしさって何でしょう?
コミュニケーションは十分ですか?

皆さんはまちに愛情や誇りをもって暮らしているでしょうか?



さて以下は2002年11〜12月に行われました小金井市まちづくり条例策定委員
の公募に対する私の応募論文から掲載させていただきます


課題は「快適で住み続けたいまちをつくるために提案したいこと」ということでありますが、私が最もまちにおいて大切であると考えているのは、まちにおける「もの」に対することよりも、まちに住む人の「こころ」に対するものです。
「快適である」とは、もちろんまちのインフラや建築、設備、公共施設などハードの充実が必要なのは言うまでもないのでしょうが、私にはむしろ、そうしたハードを作り出す前提としてのまちに対する愛情や人と人の触れ合いとしてのコミュニケーションに重きをおいた、まちづくりこそ大切であり「快適さ」を生み出すものであると考えています。そうした意味で私は「まちコロジー」という以下のような概念を提唱させて頂いております。

「まちコロジー」とは「私たちが住んでいるまちや働いているまちなど私たちの関係するまちや人、文化そして自然との出会い(=繋がり)を大切にして、まちを愛するこころを広めていこうとすること」を示す言葉として考えるものです。また、エコロジーとは自然科学としての生態学のことを指しますが、一般的には環境に優しく資源を大切にする運動として知られています。しかしここで「まちコロジー」としてまちづくりと組み合わせて考えている「エコロジー」には、もう少し広い意味を考えています。つまりエコロジーの対象を自然という私達を取り巻く「もの」としての外部にだけに求めるのではなく、私たち自身の精神構造や社会構造にも照らし合わせて考えていこうとするものです。こうした概念は、例えばノルウェーの哲学者アルネ・ネスやフランスの哲学者・精神科医フェリックス・ガタリなどによって提唱されたエコロジーと哲学を結びつけた造語でもある「エコソフィーecosophy」(エコゾフィー)という考え方に習いたいとするものです。ですから「まちコロジー」とはそうした自然という対象世界と私たち人間という関係世界の両面においてこれを多層的に捉え大切にし、多様性と共生、繋がりなどをキーワードに、まちづくりの精神の骨格として捉えていこうとする考え方でもあります。

さてこうした「まちコロジー」の理念に沿って、課題である「快適で住み続けたいまちをつくるために提案したいこと」を以下、いくつかあげてみたいと思います。

1. まちづくりにおける住民参加のシステムを整備すること
( 一緒に育てるまちづくり )
2. 漸進的・有機的成長を促すまちづくり           
( 緩やかなまちづくり )
3. まちに対する愛情おこし                   
( 魅力あるまちづくり )
4. コミュニケーションのある、まちづくり           
( ふれあいのまちづくり )

1.については小金井市市民参加条例案が答申されるなど住民参加に対する法的整備も、ようやく進捗し始めたところでもありますが、まちづくり、例えば建築行為においては地権者、行政、開発業者などの当事者間だけによる合意では「まち」にとってそれが相応しいものであるかどうかのチェックにはなりえないのは先の国立マンション訴訟(2002年12月18日判決)を見ても明らかでしょう。建築をまちという関係社会の中で捉える視点の整備が肝要であることは言うまでもありませんし、無責任なお任せを招くことなく、まちづくりに参加する機会を増やすことで、関心と共感を呼ぶまちづくりを、そして一緒に育てる実感を持つことのできるような仕組みづくりを考えたいと思います。

2.につきましては、「自然」が成長するように「まち」も地に根付きながら徐々に成長していく、そんな「まちづくり」が大切であると考えるものです。エコロジーの考えと、住民のニーズと合意形成が十分に反映されたまちづくりを目指そうと考えるものです。開発中心の即時的利益誘導型の従来のまちづくりが損なってきたものについて十分に検証しなければならないでしょう。

3.については、これがまちづくりにとっては最も必要なことなのかもしれません。私たちは小金井というまちを愛しているのでしょうか?あるいは愛情とまで言わずとも、愛着があり、長く住み続けたいと考えている住民は、今どのくらいいるのでしょうか?つまり、このまちに拘り、関わり続けたいと思うドメスティックな感情は、そこにある「こと」や「もの」、「こころ」に魅力が無くてはならないでしょう。そうした魅力づくりのため、まず、まちの接点である顔としての公共空間への気遣い、例えば、美意識や感性を刺激する「デザイン」や誰にでも感じられる優しさ「やさしいまちづくり」等が重要であると考えています。

4.におけるコミュニケーションのあるまちづくりは、すなわち3で述べた愛情おこしの為にもコミュニケーションを促すまちづくりが必要であると考えるものです。そのためには、心地よくまちに集い語らうことのできる場や装置・仕組み等の提案をすべきであると考えています。もちろん「ハコモノ」である必要はありません。商店街を活性化する方策もコミュニケーションを促すまちづくりとなるでしょう。例えば商店など民間が公共空間に提供しようと考える施設については、これを積極的に誘導・優遇する制度づくりも有効でしょう。コミュニティ空間としての緑や広場、カフェなどの提供空間は、まちにゆとりや潤いをもたらし、すなわち活性化や文化の育成にも繋がるものであると考えています。例えば、まちにある緑地は、今、生かされているでしょうか?「まち」や環境を意識させ、コミュニケーションを作り出す空間や出来事は現在、十分でしょうか?問い直しましょう。

さて、長文となりましたが、建築の設計を生業としている私としましては、経済原理中心の建築やまちづくりが、様々な弊害をもたらしている現場を多く見てまいりました。そこに蔓延る個人的刹那的エゴイズムや合意形成の欠如・アカウンタビリティの欠如は事業者だけでなく近隣住民や行政についても同様に見られますし、私ども設計者においても同様の部分を持ち合わせているのかもしれません。今回、まちづくり条例の策定に向けて注意すべきは、その動機を常に問い直すことであり、条例づくりが目的ではなく、これがまちづくりの一手法に過ぎないことを認識した上で、より良い環境のまちづくりを真摯に且つ十分に討議していく必要があると考えています。
「快適で住み続けたい」まちをつくるため「こころ」ある合意形成によって、そのプロセスを広く明示できる策定が成される事を期待し、その場に参加できることを望む次第です。




                       以上、提出課題 「快適で住み続けたいまちをつくるために提案したいこと」より



この頁は更新する予定であり、まちづくりへのコラムなどを随時掲載していきたいと考えております





文責及び写真
NASCI/20030119頁作成


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